国立感染症研究所 実地疫学専門家養成コース(FETP)の紹介(3/3)
今回は、アウトブレイク調査の実際を紹介する。ここで紹介する事例は私自身が関わっているものであり、他のFETP生は異なる事例に取り組んでいる。アウトブレイク調査はFETPの活動のなかでももっとも目立つ動的な面である。読んでいただいている人のなかには調査に直接・間接的にご協力いただいた方もおそらくいることだろう。あらためて感謝したい。
アウトブレイク調査の実際
1.新型インフルエンザ①:大阪での調査
2009年はインフルエンザのパンデミックが発生した年として記憶されていくことになるだろうが、FETPにとってもまさに特別な年であった。
米国やメキシコからの情報が入り始めた4月下旬からはFETP生は情報収集の特別シフトを組み、感染症情報センターのスタッフを交えた定期的なミーティングが開始された。そして5月16日に神戸、続いて大阪で感染者が確認されると、感染の広がりや病態を把握するとともに対応の助言を行うために、それぞれに調査チームが派遣された。私は感染症情報センターのスタッフ2名、FETP同期1名とともに大阪府に派遣された(大阪チーム)。
大阪では7日間の情報収集と活動を行い、その後は国立感染症研究所を拠点にデータをまとめて還元していく作業を行った。現地に入っていた期間は以下のように動いていた。
<5月17日(日)>
- 早朝の新幹線に乗り、9時前に大阪到着。
- もっとも多くの発症者が出ているA学校および担当保健所で状況を聴取。学校で全校生徒、教職員を対象としたアンケート調査を依頼。
- S病院で入院患者への面接-聞き取り調査。
<5月18日(月)>
- T病院およびO医療センターで入院患者への面接-聞き取り調査。
- 情報整理および大阪府とのミーティング。
<5月19日(火)>
- Y市の小学生の間で発症者が出ているとの情報に基づき、患者への面接-聞き取り調査および小学校で状況の聞き取り。
- A学校を訪問し教職員に対して状況を報告。
<5月20日(水)>
- ここまで得られた情報を解析し、臨床像および疫学的リンクについて検討した。
- 大阪府への報告会。
<5月21日(木)>
- 大阪府の医師と共に散発例への面接-聞き取り調査。感染の広がりについて解析と検討。
- 感染症情報センターのウェブサイトに「大阪における新型インフルエンザの臨床像 (第一報)」を掲載。
<5月22日(金)>
- M市立病院で医療従事者が発症したため、その対応について調査のうえ助言を行った。その内容については5月28日(経過観察期間終了後)に感染症情報センターのサイトに「A病院職員新型インフルエンザ発生事例報告」として掲載。
<5月23日(土)>
- S市での患者発生を受け、同市保健所にて対応を協議。
- 帰京。
調査中は常に帰宅が0時を超える状態でハードであったが、現地から引き上げた後も大量のデータの整理と解析、そして報告書の作成とやることが山積みの状態であった。疫学調査は実は現地から帰ってからのほうが大変という現実を思い知ることになった。
慣れない作業に戸惑いつつも何とかまとめ7月8日には大阪府、7月14日には厚生労働省への報告会を行って調査に一区切りをつけることができた。このときの報告書から公開不可能な部分を除いて編集したバージョンが感染症情報センターのサイトに掲載されているので関心のある方はお読みいただきたい(「大阪府における新型インフルエンザ集団発生事例疫学調査」)。
2.新型インフルエンザ②:大阪府との共同調査
大阪府での現地調査では特に発症者が多く出た学校を中心に調査し、解析を行った。学校での発症状況は特徴的なものであり、大阪府立公衆衛生研究所が中心となって血清疫学調査を行うこととなった。疫学面については上記の大阪チームがサポートし、
この調査のため8月下旬の採血に合わせて追加アンケート調査を行い、5月の現地調査、アンケート調査の結果と合わせて解析を行った。今後さらに詳細な分析が必要かどうかを検討していく予定である。
大阪での調査中の一こま データの集計と分析中(右端が筆者)
3.新型インフルエンザ③:脳症の追加調査
急性脳炎は五類感染症、全数把握疾患として届け出の対象となっている。インフルエンザ脳症についても急性脳炎の枠で報告が求められている。今年は夏以降に急性脳炎の報告が急増し、その多くはインフルエンザによるものであった。届け出内容をざっとみると、報告数が多いだけではなく、季節性インフルエンザで報告されているよりも年齢層が高いなどの特徴がみられた。
届け出される情報だけでは新しい疾患の解析には不十分であるため、感染症情報センター第2室およびFETPの担当者でチームを組んで追加調査を行うこととなった。チームでは9月中旬から作業を開始し、調査票の作成、各自治体や医療機関への協力依頼、記載内容の確認、データ入力と解析を行っている。12月上旬現在、その結果は第二報まで公表されている(http://idsc.nih.go.jp/disease/influenza/idwr09week45.html)。
調査は継続中であるが、これまでの中間報告では単純な集計結果を中心にまとめたのみであり、今後はさらに解析を加えた結果による情報還元を目指している。この調査は感染症法に規定されている積極的疫学調査として行われているものであるが、サーベイランスを継続的に把握することで変化を察知し、各自治体や医療機関に協力いただいて、さらなる調査につながった例である。
4.腸管出血性大腸菌O157広域感染
今年は新型インフルエンザがどうしても目立っていたが、夏には毎年みられているように腸管出血性大腸菌の集団発生がいくつか報告されていた。
なかでも注目された事例の一つが某ステーキレストランチェーンで起きた広域感染事例である。広域発生ということもあり、FETPが中心となって調査を行った。現在は調査結果を踏まえて最終的なまとめの作業を行っているところである。各地から集まる情報を整理し、保健所に感染者の追加調査を依頼するとともに、肉の製造工程や店舗での提供体制について調査を行って、本事例の全体像とリスクファクター、事例から見えてくる問題点について示すことができつつある。
FETPへの期待
FETPの活動について3回にわたって述べてきた。この拙文を読んでいただいている方の多くはこれまでFETPというものをまったく知らなかったり、名前は聞いたことがあるが詳しく知ったのは初めてではないだろうか。そのような方々にFETPの活動を少しは身近に感じてもらえればこの稿の目的は達することができたと思う。
集団感染事例の広域化や新興・再興感染症の発生などを考えると、これまで以上に感染症疫学の専門家が地域にいることの必要性は高まっていくであろう。調査や研修会で各地の現場で活躍されている方々とお話すると、(多少のお世辞混じりかもしれないが)FETPはかなり期待されていることを感じる。国内、国外のネットワークを広げながらさらに多くの専門家を育てる役割がFETPにますます求められていくであろう。
日本のFETPでトレーニングを受けている人数は、実は諸外国のFETPと比べるとかなり少ない。私の同期は私を含めて5名であるが、これを大幅に増やすには指導者がとても足りないという問題もある。国立感染症研究所にはけっして潤沢なスタッフがいるわけではなく、ほかの仕事も掛け持ちしながらようやく回しているのは多くの医療機関と変わらない。危機管理の側面が大きいだけに、ふだんからギリギリで回しているような状況はよくない。
日本国内では臨床現場でも公衆衛生分野でもスタッフの数は足りない。そのような状況で2年間もFETPにスタッフを派遣できる職場はごく限られるのが現状であろう。しかも、FAQ(http://idsc.nih.go.jp/fetpj/faq_jpn.htm)にもあるように、FETPそのものはもともと公衆衛生分野からの出向で研修生を集めることが基本と考えられており、給与は支給されていない。しかし、感染症疫学に関心をもっている臨床医は少なからずいる。給与面の改善や期間の短縮されたコース(6か月など)の設定があれば参加可能な人が増え、さらに裾野を大きく広げるチャンスとなりうるだろう。これらは今後検討していくべき課題である。
FETPはこれまで多くのアウトブレイク事例に関わってきた。しかし、その考え方やスキルを発揮できる場面は感染症には限らないはずだ。たとえばバイオテロはもちろんのこと、災害や事故の調査にもそのスキルを生かせる場面があるかもしれない。
この文章を読んでいる読者の中から一緒に取り組んでいく仲間が生まれれば望外の幸せである。
(了)