感染症科外来での雑感
新型コロナウイルス感染症が流行する数年前のことだが、便に寄生虫の卵が出ているらしいという患者さんをご紹介いただいた。感染症科の外来をしていると、こうした患者さんも時々お見えになる。私は寄生虫症の専門家ではないが、寄生虫に詳しい技師さんに協力してもらって対応している。実際、患者さんがお持ちになった絡まった紐みたいなのものが本当に虫体だったり、便から虫卵が見つかったりすることもある。もちろん、毎回本物の寄生虫というわけではなく、虫体と思われたものは何かの繊維であったり、アブみたいな虫の幼虫だったりすることもある。後者は見るからに昆虫の幼虫で、これが排便後の便器に浮かんでいたらさぞたまらないだろうと思うフォルムだった。
その患者さんは80代ぐらいの女性で、お話を伺うとお尻から黒い細かな卵らしいものが出てくるとのことだった。出てきた黒いものを実際にお持ちになっていたのでさっそく拝見したところ、おむつにゴマ粒よりも小さい細かな黒いツブのようなものが多数付着していた。いわゆるサナダムシのような寄生虫の虫卵は肉眼的に見えるものではなさそうなので、多分これは違うのだろうと思った。蟯虫は夜に肛門の周りに卵を産むという話を聞いたことがあったので、もしかして乾燥したらこんなになったりするのかなと思ったりもしたが、それでも目に見えるほどのものではないだろう。ただし、ご本人は寄生虫の卵ではないかと思っておられるわけで、私もこの黒い小さなゴマ粒が何かよく分からないので、お預かりして例の技師さんに相談することにした。
外来終了後、技師さんに「見た目はあまり寄生虫に関連したものではなさそうですね」とか言われながらも顕微鏡で見てもらうことになった。おむつに付いている黒いツブツブのいくつかを水に入れてもらったところ、それらは溶けてしまった。そして、顕微鏡で見てもらった結果、虫卵らしきものは確認できず、生き物っぽいものではなさそうとのことだった。私も見てみたが、一定した形のあるものはなく、もろもろのカスみたいなのが見えるのみだった。では何なのかということが患者さんも知りたいだろうし、私も知りたかったので、「何が最も疑われますかね」と聞いたら、「便が乾いたものでしょう」との回答を得た。
次の外来のときに、「技師さんにも顕微鏡で見てもらったりしましたが、虫卵を疑わせる所見はなく、あの黒いツブツブは便の乾いたものだろうとの結論に至りました」と患者さんにお伝えした。「では、虫ではないのですね。心配するものではないのですね。うつったりもしないのですね」と繰り返し聞かれたので、便の乾いたものだろうし、寄生虫の卵とはまったく異なるものでご心配には及ばない旨をあらためてお伝えしたところ、「よかった……」と言って涙を流されたのでちょっとびっくりした。もちろん、ここまでご安心を頂けたことはとてもうれしく、お話を伺うとその理由は次のようなことだった。
ある日、患者さんはご自身の下着に細かな黒いツブがあることに気付き、寄生虫の卵ではないかと思い、これがご自身のお孫さんにうつったらどうしようと心配になった。そして、意を決して医療機関を受診したがあまり確定的な返事は得られず、不安は解消されず、黒いツブはなくならなかった。なので、それ以降はお孫さんが懐いてこようとしても、「ちょっと調子が悪いから」などと理由を付けてお孫さんから体を離し、なんとかして近寄らないように気を付けていた。今回これが寄生虫の卵ではないことがはっきりしたので、今後はようやく安心してお孫さんと接することができると思い、安堵されたとのことであった。
患者さんが涙を流しながら喜んでおられる姿を拝見して、今回私がやったことは技師さんに乾いた便を見てもらっただけなのでやや恥ずかしい気はしつつも、ご安心いただけてよかったなあと思った。そして、それまで患者さんがどれくらいつらい時間を過ごされたかを思うにつけ、われわれが大した問題ではないと思っていることでも患者さんにとっては大きな問題であることはあって、その理由をわれわれは推測すらできていなくて、問題解決につながる回答ができるのにぼんやりとしてそれを怠っているのかもしれないということに不安を抱いた。
たいそうな話ではないのだが、私にとっては結構大事な感染症科外来での体験である。