国立感染症研究所 実地疫学専門家養成コース(FETP)の紹介(2/3)-FETPの日常 -
(3分割配信の2回目です 1回目)
前回はFETPの理念や活動について大まかに述べたが、読んでみても私たちが日ごろどうやって過ごしているのかまではよくわからなかったと思われる。今回はもう少し具体的に業務(プログラム)内容を紹介したい。
まず、結構ひまなのではないかと思われている節があるようだが(被害妄想?)、けっしてそんなことはない。はっきり言って忙しい。このことを最初に全力で強調しておきたい。FETPの各メンバーは毎週、毎日のルーチンの仕事と、そのほかにチームや個人のプロジェクトを並行して抱えている。抱えているプロジェクトの数や時期によって忙しさに大きな差があるが、少なくとも今年度は常に複数のプロジェクトが動いており、やり繰りしながら進めている。
業務(プログラム)内容
まず、私のある1週間の過ごし方を紹介する。なお、時期によって内容が大きく変わってくるので、これはあくまでも一例である。
毎日:朝と夕方に国内外のメディアやWHOのウェブサイトをチェックし、新たなアウトブレイク情報がないか検索する。
月曜日:某県の研修会に参加。疫学調査の基本ステップについて講義し、食中毒事例のケーススタディの手伝いをする。移動と研修会で一日がかりになる。
火曜日:インフルエンザおよび腸管出血性大腸菌疫学調査のデータ整理。夕方にサーベイランスの状況確認とジャーナル抄読を兼ねたミーティング。
水曜日:データ整理の続き。夕方にサーベイランスのデータが配布される。
木曜日:サーベイランスのデータ整理と各自治体への問い合わせ。疫学調査の報告書と報告会の資料作成。
金曜日:毎週木曜日から金曜日にかけてMMWRやEurosurveillanceが発行されるためそれをチェックする。長期研究の計画について指導教官と打ち合わせを行い、準備を進める。
上記のようにまとめてみると、データ整理ばかりやっていることがわかる。我ながら実に地味だ。
FETPについて多少興味のある方でも、「FETP=アウトブレイク対応」というイメージが強いのではないだろうか。緊急対応のために飛び出していく姿は派手だし、何だか格好いい気がする。しかし、毎日そんなことをしているわけではない。第一そんなことをしていたらへとへとになってしまう。調査に出かければ必ずそのデータを整理し、まとめていく作業が大切となる。そのほかにも、私たちは地味で目立たない、しかし日常の積み重ねが大きな意味をもってくる(と信じたい)仕事を担当している。
では以下に、業務(プログラム)内容を個別に紹介していく。
1.アウトブレイク情報の収集
まず第一に、日常の情報収集として国内・国外のメディアやWHOのウェブサイトからアウトブレイクのニュースを拾い上げる作業がある。メディアを通じて集める情報は不確かなことがめずらしくなく、情報量も必ずしも十分ではない。しかしながら、その情報をきっかけにして重要なアウトブレイクに気づくことはしばしばあるし、メディア情報に基づいて自治体に問い合わせることから疫学調査が始まることもある。インターネットの普及と検索サイトの性能向上によって情報を入手しやすくなったが、それだけに大量の情報に溺れることなく重要と思われるものを引き出してくるノウハウを身につけることは、どんな分野に進んだとしても有用なはずである。
2.各国の疫学情報の収集
FETPでは感染症情報センターの先生方とともに毎週、感染症疫学関連のジャーナルのチェックを行っている。チェックしているのはMMWR、EurosurveillanceやWHOのWeeklyEpidemiologicalRecordなどである。これらの中には各国で行われた疫学調査の記事もあり、私たちが手掛けている調査との違いを知ることができて興味深い。
3.サーベイランス業務
感染症法に基づいて届けられたデータの整理検討は、毎週の仕事のなかで大きな位置を占めている。
ご承知のように、感染症法では一類~五類感染症が定められており、全数もしくは定点から報告されることになっている。「対象疾患が多すぎてやってられない」「診断基準がよくわからない」「診断に必要な検査を商業レベルでできないのは困る」といった多くの問題点があるのは重々承知している(かく言う私自身もつい最近まで不満を感じる側の立場であった)が、届けられた情報はたいへん貴重なデータベースとなっており、ぜひ届け出に協力いただきたい。
届け出が必要な疾患を疑っているという理由で保健所に相談すれば、地方衛生研究所や国立感染症研究所での検査が可能になることもある。一方、私たちの立場から言えば、特に広域で発生している集団発生は各地からの届け出を一元的に扱って初めて全体像が判明することも少なくない。サーベイランスのシステムは見直しの時期が近くなっており、何か気づいた点があればご連絡いただきたい。
さて、届けられた情報は毎週水曜日にデータベースから抽出され集計されている。私たちはその内容を確認し集計する作業を行っている。届出内容に不正確な点があったり、足りない点があったりするとナショナルデータベースとしての精度に問題が生じてくる。そこで、FETPのメンバーは感染症情報センターの担当スタッフとともに報告内容をチェックし、確認を要する点や不明点がある場合は問い合わせを行っている。
たとえば、クロイツフェルト・ヤコブ病(古典型)の診断基準では、臨床症状と脳波でのPSD所見の組み合わせで診断する場合は「やや確実」という類型となるが、これを「確実」として届けている事例がしばしば見受けられる。このような場合は自治体に修正もしくは記載内容の追加を依頼することになる。この作業は、その週の状況によって変わってくるものの、数時間を要することが多い。
届け出は都道府県などの地方自治体を通じて行われるシステムとなっているため、問い合わせ先は各自治体となる。ふつうは医療現場に直接問い合わせすることはないが、届け出の際にできるだけ正確に記載してもらい、場合によっては届け出の基準を読み直していただくことによって、問い合わせの手間と労力を大きく減らすことができる。最終的には自治体から忙しい医療現場に問い合わせが入いる頻度を減らすことになるので、届け出の際には記載内容をよく確認していただきたい。
4.研修会など
アウトブレイク調査を含めた感染症危機管理は公衆衛生領域では大きなテーマである。
FETPでは自治体などからの依頼に応じて研修のお手伝いをすることがしばしばある。依頼内容によっても変わってくるが、代表的なパターンとしては疫学調査の考え方に関するレクチャーを行ったうえでケーススタディを行うことが多い。疫学調査を進めていく際に押さえていくべきステップがあり、それについて解説するのである。
さらに、過去の事例(日本国内の事例もあれば海外の事例もある)に基づいて作成されたケーススタディの教材を使って、FETP生はレクチャーを行ったり、ケーススタディのファシリテーターを担当することで、レクチャーのスキルや疫学調査の基本的な考え方を繰り返し自分のものにしていく。
どの分野でもそうであるが、教えることは自分にとって最も勉強になるものである。これまでは自治体の感染症や食品衛生担当者を対象に行われることが多かったが、今後は感染症に関心のある臨床医や院内感染対策を担当する医療従事者にも広げていければと思う。
5.国立保健医療科学院とのジョイントプログラム:初期研修と特別研究
FETPのプログラムは国立保健医療科学院とのジョイントプログラムとなっている。活動の中心は国立感染症研究所であるが、1年次の最初の3か月間は国立保健医療科学院 専門課程Ⅱ 健康危機管理分野の学生として、保健所長コースの参加者と共に公衆衛生の基礎を学ぶ。この内容は保健所業務の全般にわたっているため、感染症疫学に関連した分野に特化したプログラムになっていないのが個人的には残念であるが、まあこれは人によって受け取り方が違うかもしれない。
国立保健医療科学院と共同で取り組むものとしては、2年間をかけて一つの研究をまとめる課題(特別研究とよばれている)もある。研究課題を自分で設定し、指導教官と相談しながら計画を立てて進めていく過程は臨床医としての経験しかない私にとっては新鮮なものである。疫学研究の手順やややこしいところを実際に乗り越えていくのは、たぶんいい経験になるだろう。
6.WHO西太平洋地域事務局(WPRO)での経験
FETP生には、希望に応じてマニラにあるWHO西太平洋地域事務局(WPRO)でrumorsurveillanceofficerとして数週間仕事をする機会がある。これはWHOがどのような考え方で健康に関する問題に対処しているのか知ることができるとともに、各国から集まったスタッフと共に仕事をする貴重な機会となっている。私自身はこれからということになっているが、すでにマニラに行ってきた同期の仲間にとって、この経験は何者にも代え難い大きな印象と自信を与えているようである。
FETPメンバーとファシリテーター、中国からの研修生を囲んで
今回はFETPが日常的、定期的に行っている業務(プログラム)を紹介した。これらの日頃の活動を通じて国内外にネットワークを広げていく機会を多くもてるのは、FETPでトレーニングを受ける大きな利点の一つであろう。次回は、私自身が実際に関わっている事例を紹介すること通して、FETPの重要な活動の一つであるアウトブレイク調査を紹介したい。
(つづく)